西カロリン海軍航空隊ペリリュー島司令部跡1 (090616)
建物の見取り図作ってみました→こちら

むごい
発電所跡からさほど行かずに、海軍の航空司令部跡がある。今回訪れたときは不運なことに、フィリピンの娯楽番組の撮影隊がロケ中だった。左に見える妙ちきりんな柱は撮影用のセット。建物の中もあちこちいじられていて、悲しいくらい酷い有り様だった。他にもロングビーチで観光客を締め出してサバイバルゲームとか(ホテルで一緒になった新婚さんに聞いた)、ペリリュー飛行場跡地で戦闘とか(セットを放置しっ放し)とにかくひどかった。
本来ここは戦争の悲惨さを知るためと、亡くなった日本兵を弔うために遺された場所であって、決して「無人島でサバイバル!」なんて低俗なバラエティ番組のために踏み躙るなんて許されないと思うんだけどなあ。しかも無人島じゃないし。バラエティの捏造は万国共通なのね。

入口ではないけれど
司令部の本来の入口は、この建物の向かって左側。当時とは道路も変わってしまっているから(あれだけ爆撃されたら仕方ないよな)正面玄関はすっかりジャングルの中。2008年ここを訪れた明石DSなる方の旅行記に、第二次世界大戦博物館で撮影された玉砕直後の司令部周辺の写真が掲載されている※。
手前から二本目の柱に、誰が手向けたのか千羽鶴が掛かっていた。この鶴の意味を知っていたら、この島でこんなアホな撮影をしようとは思わなかっただろうに。
※ 元のサイトはこちら http://www2u.biglobe.ne.jp/~akashids/ryokou/palau/palau24.html

柱
千羽鶴が掛けてあった柱。コンクリートの装飾が綺麗に残っている。コンクリートが固まりにくい南国でも、こんなにきちんと作ってたんだなあ。戦前の日本人ってほんと真面目だ。絶対に手を抜かない。戦後の日本人も世界標準から見たら充分真面目だが、それ以上なのは間違いない。

往時をしのぶ
中に入ってまっすぐ奥へと進む通路も、このように化粧コンクリで綺麗に拭かれている。あれだけひどい爆撃を受けたのに、ほとんど無傷。亀裂ひとつ入ってない。きっとここを、たくさんの海軍士官が行き来したのだろう。今となっては往時を偲ぶことすら難しいくらいに静かで、無人の廃虚と成り果てている。なんだか切ないね。

一階フロア
通路の奥から入り口を臨む。壁はすっかり崩れてしまい、外まで見渡せる。板葺きの床や腰高の柱は撮影用セット。このとき撮影隊は不在だった。

天井
一階の天井。鉄骨が一部露出しているが、滑らかな形が保たれている。当時の技術水準の高さに驚く。

防空壕
通路を中ほどまで進んだ右手には、司令部の防空壕入り口が顔を覗かせている。この島が米軍の総攻撃を受けたとき、島内には一機の航空機もなかったそうだ。航空機のない司令部。敗戦に向かって突き進んでいた日本の、悲しい現実がここにある。そんな司令部の軍人さんたちは、どんな気持ちで防空壕に避難していたんだろう。
この島の実質的な防衛と戦闘を担ったのは、満州から急きょ派遣された陸軍の精鋭部隊だった。海軍も一緒に戦ったが、残された記録(生存兵の証言など)を見ると、やはり軋轢は少なからずあったようだ。

一階奥水周り棟
見取り図では右奥の建物の写真。突き当たりの浴槽付近から入り口を見たところ。奥に見えるのは流し台だが、撮影隊の荷物が乱雑に押し込まれている。壊れたらどうすんだ。いや、made
in Japanがそんな簡単に壊れるとは思わないけど、でもむかつくー!
中ほどに写っている横長の穴は、トイレ。鉄製の窓枠にガラスは残ってないけど、少しだけ開かれたところに生活のあとが感じられる。

浴槽
窓際にあるのは浴槽です。ここにも機材が置かれている。もっと大事に使ってよ(涙)
そういえば、旅行から帰ってきてペリリュー関連のサイトやブログを検索したんだが、その中にペリリューツアーに参加した主婦のブログがあった。何を勘違いしたのか、「一般の兵隊が洞窟に籠って悲惨な戦いをしているときに、こんな立派な建物の中でのんびり風呂に浸かっていたなんて許せません! 日本軍最悪!」と憤っていたが、無知とは恐ろしいものだとひしひし感じた。総攻撃のときに風呂入ってる将校なんていないよ。それに軍隊は階級社会だ。平時に将軍も一兵卒も同じ飯を食って同じ場所で寝泊まりする訳ないだろう。
更にだな、戦闘時は中川大佐だって洞窟にいたぞ。大佐=将校とは知らなかったみたいですが。戦前の日本軍がおかしいんじゃなくて、全世界共通の常識だってことをたぶん知らなかったんだろうな。それと戦後教育とマスコミにすり込まれた「日本軍=極悪非道」という先入観。

御不浄
(上の続き)軍隊においてさえ「みんな一緒でないのはケシカラン!」って、運動会で順位付けるの反対!と同じレベルだよなー。戦後教育のお陰で立派な平等主義者が育ってるのに震撼した。
この島の遺構を見て「戦争は悲惨だね、負ける戦はしちゃなんねえな」って思うのが普通だと思うんだけど、斜め上の思考で「日本軍最悪!」となるんだもん。
様々な意味で、多くの日本人は自分たちの過去を何も知らない。知ろうともしないし、過去という歴史が現代に繋がっていることすら理解しない。それが普通なんだろう。私も学生時代はそうだった。でもあなた方の大嫌いな日本軍は、そのまんまあなた方私たち含めた日本人の、爺さんひい爺さん世代なんだよ。別世界の他人じゃないんだ。
で、この写真はトイレ付近から入り口の天井を見上げたところ。丸い穴は爆弾の落ちたあとだ。ここの壁が跡形も無く吹き飛んだのは、こんな爆弾をガンガン落とされたからなんだろう。中に人がいたとしたら、生きた心地もしなかったろうな…。

消えゆく歴史
上の写真の奥にある出入り口から外に出たところ。すぐ正面に、通信設備と思われる、ひときわ分厚いコンクリート&鉄扉の建物が見える。
日本軍の資料は、敗戦時に廃棄されたり米軍に接収されたりしてほとんど残っていない。だからこの建物の見取り図や、ペリリュー島にどんな施設があったのかは、ほとんど解っていない。たった六十五年前に使われていた、これだけしっかり残っている建物のことさえ分からないのだ。「色々調べているんですが、詳しいことは分からないんです」と言うガイドさんの言葉に、なんだか危機感を覚えた。歴史をおろそかにする民族の末路は、ろくなものではないからな。

水周り棟外観
出入り口から振り返り、浴槽等のあった建物を外から見る。庇が広いのはスコール対策かな? 日本家屋も廂広いけど、あれも雨から建物を守るためだし。