95式戦車~オレンジビーチ (090616)

95式戦車
航空写真にも写っている、広場の真ん中にぽつんと残された日本軍の95式戦車。ワンボックスカーとほとんど変わりない大きさで、戦車ってこんな小さなものだったかと驚かされる。乗員は四~五名だったらしいが、とてもじゃないがそんな人数が乗れるようには見えない。後日司馬遼太郎の戦車考を読んだが、実物見た後だというのに余計に想像つかなくなった。
この戦車は米軍上陸時、日本軍が有していた十七台の戦車のうち、たった一台だけ残されたもの。日本軍によるペリリュー飛行場奪回作戦時、これら虎の子の戦車の周囲にロープを張り、それに兵士が掴まって飛行場へと進軍した。だが米軍の砲撃で、攻撃部隊は戦車もろとも全滅した。この戦車にも六十数年前にロープが張られたのだろう。そして、そこに掴まった鈴なりの兵隊もろとも真夜中の飛行場に突入したのだ。

住民が守った戦車
砲塔はなくなり、どこからか持ち込まれた無限軌道(キャタピラー)とともに、熱帯の雨風に晒されている。いつまで形を止めていられるのだろう。
日本軍の戦車は、破壊されたあと鉄材として米軍に回収されてしまった。この一台だけスクラップを免れたのは、帰島した住民の手で米軍から隠されていたからだ。共に暮らし、そして無残に散っていった日本兵への思いが込められているような気がする。ありがとう。

エンジン?
野ざらしになった戦車の内部。エンジンかな。

歴史の証人
小さなフタが開いたまま錆び付いていた。日本の整備士たちが丹精込めて手入れをしていたであろう精密機械は、今は物言わぬ歴史の証人として、訪れる日本人のほとんどない南国の空の下、鎮座している。
いやね、ほんと、もっと日本人はこういった歴史をしっかり見詰めるべきだと思うよ。たらればとか安直な罪悪感とかだけじゃなくて、当時の人々の思いとか願いとか、ちゃんと正面から見なきゃだめだと思うよ。そして自分自身で考えて、自分自身の意見をしっかり持たなきゃダメだと思うよ。
……なんて偉そうなこと言ってるけど、私自身は「戦争はしちゃいかん」という意見以外はまだ考え中。難しいよね、こういうの。でも答えを出す出さないは別として、国民ひとりひとりがきちんと考えなきゃダメだよね。こんなご時世だから尚更。

オレンジビーチ
オレンジビーチ。米軍がペリリュー島に最初に上陸したのがこの場所だ。(正確には奥に見える岬からビーチ一帯にかけて上陸した)
日本軍は海岸沿いに無数のコンクリートの陣地、岬の奥には岩山を刳り貫いた砲台陣地を築き、これを迎撃。上陸してくる揚陸艇やアメリカ兵に集中砲火を浴びせ、一度はこれを撃退した。海岸は米軍兵士の死体で埋め尽くされ、その血の色がビーチの名称の由来となった…とされているが、実は違うらしい。どこかでその記事を読んだのだが失念してしまった。
沖に見える平坦な島はアンガウル島。ここも玉砕の島だ。米軍上陸時は、米艦艇がアンガウル島が見えなくなるほどびっしりと沖合いを埋め尽くしていた。そして昼夜を分かたず砲撃を浴びせ続けた。

泳いでる!?
地元の人は、今でも絶対にこの海岸で採れた貝は食べないし、当然ビーチでも泳がないそうだ。(同様に、山のカニも食べないそうだ) 私たちが訪れたとき、砂浜にバスタオルが並べられ、沖に外国人観光客が二名泳いでいたが、ここを何度も訪れているガイドさんでさえ、泳いでいる人を見たのは初めてだと驚愕していた。泳いじゃいけないって訳じゃないけど、なんだかな。
でも、歴史を知らなければほんとに、ただのキレイな南国のビーチなんだよ。歴史を知らないとね。知らなければそれですむ話かもしれないけど。それでいいじゃん、何が困るの?って人もいるだろうし。でも自分は、できれば「それじゃまずいだろ」って思う人間でありたい。勉強は嫌いだけどw