ホテルに残る遺構1 (090616)
ホテルの見取り図作ってみました →こちら
本文で紹介する場所の確認にどうぞ。(ちなみに私達が泊まったヴィラは★です)

飛行場跡を目指す
航空写真でいうと、細長い半島の付け根から突端の小山方面を見た写真。
ペリリュー島から帰ってきたのが午後四時くらい。まだ日は高かったので、ホテル内の水上艇飛行場跡に行ってみることにした。昨日も行ったけど、あいにく薄暗くてあまり良い写真が撮れず、じっくり見ることもできなかったからだ。
(飛行場に関する写真は15日と16日に撮ったものが混在しています)

海軍時代の埋め立て地
飛行場跡は、現在ホテルのアクティビティ用ボートの船着き場になっている。コンクリートで舗装された船着き場へと至る道は、まるで幅広い防波堤みたい。というか、海を埋め立てた人工の岬なんだろうな。海軍時代の地図の地形とまったく同じだし。当時の施設をそのまま転用しているんだろう。

飛行場の痕跡
きれいに葺かれた芝生の合間から覗くコンクリート。ただ舗装してあるだけでなく、ときおりこんな構造物を埋めた跡や、謎な継ぎ目の曲線なんかが現れる。飛行場の附属設備を撤去したあとかな。

滑走路が見えてきた
いよいよ岬の先端に近付いてきた(もったいぶってるけど、部屋からここまで三分)。左手に見えるスロープが、かつての滑走路だ。(見取図A地点)

情緒ある風景
さらに近付く。滑走路の端には、過ぎ去った年月を体現するかのように、南洋松を始めとする木々が生い茂っていた。(どうでもいいけど、パラオにいっぱい生えてる南洋松ってミクロネシア原産じゃないらしいですね。ニュージーランドのルピナス同様、景色に溶け込んでるけど外来種だそうな)

コンクリートブロック
上の写真を撮った場所で防波堤の下を見下ろすと、浅い海中にコンクリートブロックが無数に散乱していた。コンクリートブロックは戦後使われなくなったので、これも日本統治時代の建造物の残骸だろう。(コンクリートブロックが使用されたのは大正初期から戦後間もなくの頃まで。トンネルや道路建設といった大型の土木工事に用いられていた。それ以前、明治の時代はレンガや石積みだった)

滑走路というより…
滑走路の付け根から、いま来た道を振り返る。航空写真を拡大するとわかるが、滑走路はかなり奥行きがある。それにしてもここ、ガイドブックにも滑走路とあったけど、滑走路というより揚陸場だったんじゃなかろうか。水上艇を引き上げて繋留したり、整備を行ったりしたとか。
この写真は15日に撮ったので、日暮れ前に降ったスコールで水溜まりができている。