海軍通信隊跡 (090617)
戦跡巡り開始!
ランチを終えて海一さんと合流。いよいよ日本統治時代の遺構巡りに出発です。海一さんは初っぱなからテンションMax! 道中ずっと「叔母の名前は貴女と同じ日本名だ!」「あそこはパラオでいちばんの富豪が住んでいる豪邸だ!」等々、いろんなことを教えてくれた(笑)
最初に行ったのは、ガイドブックにも書いてあった「海軍通信隊跡」。コロール島からKBブリッジを渡った先、国際空港や首都のマルキョクがある通称「パラオ本島」、バベルダオブ島にあります。ガイドブックの地図を見てもよく分からなかったのだが、海一さんに地図を見せたら「あーダイジョブダイジョブ!」とにこにこ顔で出発。有名な場所なのかな?

海軍通信隊跡に到着
本島の周回道路を脇に入り、ようやく到着。わりと距離があった気がする。
ここには大きな建物が二棟、小さな倉庫らしきものが数棟残されていて、十字架型の大きい建物は今後記念館として整備される予定だそうな。そして海一さんの話によると、どうやらこの目立つ建物は通信施設ではなく、公民館?のようなものだったらしいです。

空襲の爪痕
戦争中はバベルダオブ島も空襲に遭いました。規模こそさほどではなかったらしいけど、重要施設ということで爆撃されたのか、かなりひどい破壊の跡が見て取れます。自然に崩落した可能性もあるけど、壁には弾痕も刻まれてるし…(後述)。
日本軍の遺物
島内のあちこちから集められた日本軍の戦車や機銃が、十字架のくぼみにそれぞれひとつずつ(計四台)固定、展示されています。でもここに展示されてるだけでなく、パラオにはこんな戦争遺物がほんとにたくさん、無造作に転がっているのだ。


苔生した天井
建物の中に入ります。朽ちたコンクリートが剥離し、鉄筋が剥き出しになっています。



ケーブル類
天井からは、建設時に埋め込まれたケーブル類の断面がたくさん覗いています。本当にしっかり造られていたんだなあ。わりと先進的な建物だったのかも。

裏手
建物の裏手に回ってみる。廂を取り付けた金具が、物悲しげに残されていました。もう二度と、この建物が「人間の生活の場」としての役目を果すことは無いんだなあ…。切ない。
それにしても、この庇の幅からすると相当大きい窓だったっぽい。いまいち軍事施設らしくないような…。

海の痕跡
崩れたコンクリートには、貝殻がちらほら。海砂を使ってたらしい。まあサンゴ礁の島だし、山から砂を採ってきても塩分とか貝殻とか普通に混じってそう。

弾痕
弾痕も無数に残されています。ここも紛う事無き戦場だった。

威容
見れば見るほど立派な建物。壁は元々薄かったからか、爆風と年月とでほとんどなくなっています。
手前にあるのは、飲料水を確保するため雨水を溜めた貯水槽。色々な形があったようですが、パラオのあちこちで見掛ける円筒形をしています。誰でも簡単に見にいけるものでは、他にアサヒ球場裏に同じものがあり、ここは日本軍の水陸両用車もあるのでおすすめ(後述)。

倉庫跡
同じ敷地内にある倉庫跡。十字架型の建物から、やや離れて建っています。壁も分厚いし、危険物保管庫だったのかな?

本命?
十字架型の建物の向かいにある、現在は自動車整備工場として使われている建物。おそらくこちらが通信施設だったものと思われます。根拠としては、壁がしっかり残っていること、窓の大きさが十字架建物に比べて小さいということです。
軍事施設と民間施設を見分ける手掛かりに、壁の分厚さがあります。軍事施設は通常より頑丈に造るし、通信施設は中でも特に重要な施設だから尚更。だからこそ戦火に耐え、年月にも耐え、現役で使われているのでしょう。
偶然の一致
工場といっても雑然としたもので、仕事中にも関わらずスタッフがわざわざ出てきて手を振ってくれたり、工場内を犬が歩き回ってたりとかなりフリーダムでした。そして、工場前に止まっているこのゴミ処理車! 写真じゃ分かり辛いかもしれないけど、
「日本三景松島」って書いてある…。
そりゃ、コロール島には「パラオ松島」とも呼ばれた景勝地岩山湾(昔ニッコーホテルがあったからニッコーベイとも呼ばれてます)があるけど、偶然の一致っぽくて笑ってしまったw

