ミュンススコウジョウとKBブリッジ (090617)

病院たち
コロール島から橋を渡ってアラカベサン島へ。
島に上陸して間もなく右手にパラオ国立病院、そこから少し行くと、左手に青と黄色に塗られたコンクリートの柱が二本あります。これは門柱だけ残っているMilitary Hospitalのあとだそうです。時代が変わっても、同じような場所に同じような施設が建っているのが面白い。
コンクリートの柱を左に見ながら道を進むと、ミュンススコウジョウへと到る道が右に現れます。目立たない下り坂なので分かり辛いかも。民家の間を抜け、左に米軍の住居跡(かまぼこみたいなあれ)を横目に見つつゆっくり走ると、不意に目の前が開けて飛行場が現れます。

ミュンススコウジョウ
想像していたよりずっと広い滑走路が、海に向かってのびています。突端は緩やかに傾斜して海中に沈んでいます。ここは水上飛行艇専用の滑走路だったそうです。アラカベサン島にはここと、ホテル敷地内に二ヶ所の計三ヶ所、水上飛行艇用の滑走路がありました。ホテルのあれは揚陸施設な気もするけど。それにまだ他にもありそう。
漫画のジパングでは一般の飛行機もここから飛んでて、しかも海軍軍人の滝は崖に取り付いて脱出した菊池を見送ってたけど、崖はどこにも見当たらない…。あの場面、結構手に汗握って好きだったんだけど、残念だなー。

海に消える滑走路
滑走路の突端が海に沈む写真は、うっかり逆光のものしか撮っていませんでした。不覚! それにしても、ここの海もすごく綺麗だった…こんなところで戦争していたのか。当時の兵隊さんたちは景色を楽しむ余裕があったのかな。戦局が悪化するまではあったんだろうけど、少しくらいは心安らげる時間があったと思いたい。

良い仕事
波打ち際のコンクリート。約八十年間海水にさらされても、ほとんど侵食されていない。
日本の土木技術水準の高さ、おそるべし!

パラワンの集会所
滑走路の陸地側には木立があり、木陰には広い東屋が建っていた。パラオでよく見掛けるんだけど、緑色に塗られたテーブルやベンチが置いてあり、パラワンがおしゃべりしたり噛みたばこを吸ったりしながらくつろいでいる。私が写真を撮ろうと飛行場を駆け回っていたら、声援を送ってくれた(笑) この写真はその東屋から撮ったもの。

Koror-Babeldaob Bridge
飛行場からは、バベルダオブ島とコロール島を結ぶKBブリッジが臨める。ここを通ったとき、連れ曰く「ベイブリッジそっくりだよ!」 それもそのはず、この橋は鹿島建設が作ったのだ。それ以前に韓国企業が予定価格の半額で落札してアーチ型の橋を作ったのだが、なんと数年後から真ん中がたわみ始め、ついにぽっきり折れてしまい、死者二名を出す大惨事となった。この橋はバベルダオブ島(パラオ本島)からコロール島等へ電気や水などを送る重要な橋だったため、パラオ政府は非常事態宣言を出し対応にあたったという。とにかく大変な出来事だったらしく、コロール市内の本屋さん(つかスーパーの書籍コーナー)にはこのことを記録した本が並んでいた。タイトルもずばり「KBbridge」。この事態を重く見た日本政府が、無償で新しい橋を造った。急場凌ぎの仮設浮橋も日本が造ったんだと。パラワンはそりゃもう喜んだらしい。

Japan-Palau friendship Bridge
どのくらい喜んでいるかというと、たとえば私たちを案内してくれた海一さんは、私たちが「KBブリッジ(Koror-Babeldaob
Bridge)」と言ったのをわざわざ「違う、Japan-Palau friendship Bridgeだ」と言い換えるほどだった。それだけにとどまらず、橋のたもとにあるモニュメントで車を停め、「写真を撮れ!」とひっじょーに嬉しそうに勧めてくれた。以前はODAを批判的に考えていたけど、実際はかなり違うんだね。こういったODAなら大歓迎だ。もっと色々な面から物事を見なきゃいかんと反省しました。それに日本人として、外国で人々に感謝されるのはなんだかむずがゆいけど、とっても嬉しい。
でもこの写真、うっかりレンズに付いた水滴を拭うのを忘れたまま撮ってしまったので、画面の左がぼやけている。防水デジカメは便利だけどこういうとき困る。
で、これにて海一さんと行く戦跡巡りツアー、終了! 海一さん、本当にありがとう!!!