零戦52型~西太平洋戦没者の碑(厚労省) (090616)

果樹園の中に
正確な場所を失念してしまったが、オレンジビーチ(米軍の戦没者慰霊碑)から平和記念公園へと移動する途中で車を停め、路肩に点在するバナナ果樹園(といってもほぼジャングルと一体化)のひとつに踏み入った。踏み跡さえはっきりしないジャングルを数メートル進むと、そこにはかろうじて原形をとどめたゼロ戦の残骸が横たわっていた。

土に還る
機首部分からぱっくりと割れ、泥の中に半ば埋もれた無残な姿を晒している。手前に見えるのは、不時着時の衝撃か、それとも年月の重みにか、ばきばきに破壊された翼。

機首
折れた機首部分。この先は持ち去られたのか跡形も無く吹き飛んだのか、近くには見当たらなかった。

緑の風防
風防ガラスの抜け落ちたキャノピー。ガラスのかわりに、若々しい緑や落ち葉が埋め尽くしている。

操縦席
主をなくしたままの操縦席。操縦桿も計器類も、すっかり抜け落ちている。ここに座り命を懸けて敵と戦ったパイロットは、どうなったんだろう。

平和記念公園
島の南端、オムルウム岬には平和記念公園が造られ、日当たりの良い広場が拡がっている。ここはペリリュー島民の絶好のピクニックスポットだ。岬の突端には厚生省(当時)が作った戦没茶慰霊碑が建っている。ここからは対岸のアンガウル島が見渡せる。
慰霊碑の中央にはベンチとテーブルが据え付けられており、ここに座り、目の前の広大な海を望みながら焼き肉弁当を食べた。もちろん器も箸もリユース。初日のロックアイランドツアーのお弁当もだったが、使い捨て容器や割り箸は使用していない(お世話になった二社は日本人が経営しているツアー会社だった。他社については不明)。

戦没者慰霊碑
「さきの大戦において
西太平洋の諸島及び海域で
戦没した人々をしのび
平和への思いをこめて
この碑を建立する」
日本語と英語で記された碑文。ここは主に、この地で玉砕した日本軍兵士を慰霊するため建立されたが、国籍を問わず、全ての戦没者を弔う施設でもある。
※ 詳細はこちら(厚労省サイト) http://www.mhlw.go.jp/bunya/engo/seido01/ireihi09.html

日本へ…
慰霊碑の足元には、日本の方角を示したレリーフが刻まれている。
帰りたかっただろうな。生きて日本の地を踏みたかっただろうな。家族に会いたくてたまらなかっただろうな…。
皆様方の魂は、無事に日本に帰ってこられましたか? 魂の拠り所であっただろう靖国で、家族と、戦友たちと会えましたか?
思わずそう問い掛けたくなる。

命の水
慰霊碑の左右の壁の上部には、ひとつずつ小さなシャコ貝が埋め込まれている。貝殻に溜まった雨水は、壁を伝い落ちて慰霊碑の足元に刻まれた小さな水路を流れていく。
このシャコ貝に満ちる水は、凄まじい渇きに苦しんだ将兵たちの喉を潤すためのものだ。
紙切れひとつで招集され、家族のため、国のためと戦地に赴き、戦って。次第に弾薬が尽き、戦友が次々と斃れていく中、生き死にを共にした仲間に死に水すら取らせられず。消耗しきった体力と精神を更にそぎ取っていく、雨あられと降り注ぐ砲弾、銃弾。怪我の治療などもちろんできない。生きて帰ることすら絶望的な状況で、どんなにか苦しかっただろう。ほんとうにほんとうに、家族や私たちの生まれた国のために戦ってくれて、ありがとうございました。お疲れさまでした。日本は大丈夫ですから、後は私たちに任せて、どうぞ安らかにお眠り下さい。
いろいろ考えたこと
同じようなことを何度も何度も書いてるけど、実際ペリリュー島を中心としたパラオの戦跡を巡っていると、何度も何度も同じような気持ちにさせられる。私たちの祖父母の時代、家族の幸せを守るため、そして家族の住む祖国日本の平和と幸せのため、遠い異国の地で戦った数百万の将兵がいたのは紛れもない事実。もちろん行きたくない、死にたくないのは当然だっただろうけど、それでも強い願いと思いを持って彼らは戦い、殉じていったのだ。それをなかったことになんかできないし、絶対にしてはならない。そして、彼らの死を無駄にしてはいけない。
それはつまり、彼らの最大にして唯一の願い「日本の平和と幸せ」をなんとしてでも守り抜くことだと思う。戦争をしなくてもすむよう、みんなが幸せに暮らせるよう、日本人ひとりひとりが努力することが、彼らに対する最大の供養だと思う。
安直に「日本軍は悪いやつらだった、彼らは日本の恥だ」「あいつらと自分は関係ない」と切り捨てて目を背けることは、「私たちと同じ平凡な日本人だった」彼らに対する冒涜であり、なんの解決にもならない。同様に「日本のしたことはすべて正しかった」と盲目的に信じ込むのも、歴史から目を背ける行為だ。
人間は自分の見たい、聞きたい情報にしか触れようとしないし、見たくない、聞きたくない情報からは目を逸らして生きている。でもそれだと仲間同士で馴れ合うだけで終わってしまい、なんの進歩もない。自分の主義主張に反する情報に目を通し、互いの主張を理解することが、未来へと進む第一歩なのだと思う。(受け入れろと言う訳じゃないよ、理解が必要ってことだ)
アルピニストの野口健氏は、世界の各地に取り残されたままの日本兵の遺骨を収集する活動を行っている。(2013年現在は不明である) 彼の理念や行動力には本当に頭が下がる思いだ。野口氏は御自身のブログで以下のように述べておられる。
(以下、海上自衛隊での講演を行ったレポートより引用※)
国民の生命財産を守るのが国家の責任。自衛隊員はその第一線で今日も一日厳しい訓練を続けている。私は自衛官に対し心から敬意を払い、誇りに感じています。
講演中にも感じたことですが、航空学生や隊員のキリッと引き締まった表情。若者らしくとても清々しかった。二十代前後の若い彼らが国防の一端を担おうと厳しい共同生活、訓練の中、必死に生きている姿に日本にもまだこういて使命感を抱く若者がいるのだと嬉しかった。
私と自衛官とではそれぞれ立場が違います。ただ、私たちにもそれぞれの役割があるはずです。国を守るということはなにも自衛隊だけの仕事ではない。また政治家だけの仕事でもない。私にだってその責任はある。いや、皆それぞれが日本人として生を受けている以上、国から与えられることばかりを期待しないで自分たちにも社会に対し何が出来るのか、一人一人が自覚すること、その気持ちが国家という共同体の一員として参加することになるのだろうと思う。
私は私に与えられた役割を果たす。これは全ての人にも同じく共通した責任だと思います。
(引用終わり)
私に与えられた役割と責任ってなんだろう。とりあえず国民の義務である納税か? 他には何ができるんだろう。何をすべきなんだろうね。すごく悩む。
でも、別に大それた活動をしなくても、社会に迷惑を掛けず、少しでも他人の役に立てるよう、頑張って働いて税金を納めて道徳を守って社会に迷惑を掛けず生きていくことこそが大事なんじゃないかと、野口氏の文章を読んで思った。あととりあえず、空援隊(遺骨収集を行っているNPO)に寄付してきた。いや、ペリリュー島のあの洞窟陣地とかジャングルとか見ちゃったら、彼らが一人でも多く日本に帰れるよう、何かしらお手伝いをしたいと真剣に考えるよ。
※ 野口健氏のサイトはこちら http://www.noguchi-ken.com/